「建築」を言語から再考する

 

‘2018年8月10日’

背景

現代において「建築」とは、建築物を新築し、増築し、改築し、又は移転することをいうと、建築基準法 (法第4条第10項)より定義されています。
この概念から建築学について考えると、建物に関わる領域の学問であることがわかります。しかしそれと同時に非常に漠然とした領域であると考えています。
それは建物という具体的なものを対象としながら、空間という抽象的な対象を扱うことが私が上で述べた要因の1つではないでしょうか。

そこで、本記事では、「建築」という言語から、解釈の裾野を広げ、「建築物を新築し、増築し、改築し、又は移転すること」という現在の建築の概念を再考していきたいと思います。
つまり、現代における建築の具体的な対象を建物とするのではなく、Architectureという言葉から新たな対象を再考することを目指したいと思います。

これを行うことで、建築という言語にデザインされたイメージではなく、抽象的でありながら根源的な概念に少しでも近づくことができると考えています。

それでは、本記事の表題である「建築」をその言語から考えてみたいと思います。

今私たちが、使っている建築という言語はそれほど歴史が長いわけではないようです。
あくまで日本語における建築という言葉は、もともと「造家」と呼ばれていたことは有名な話かと思います。
「アーキテクチュア」は明治の初めは、主に「造家」と訳され、広く使用されていました。
明治四年、東京大学建築学科の前身に位置する工部大学校に創設されたとき造家学科と呼ばれ、明治十九年に現在の日本建築学会が発足した時も当時は造家学会という名称で設立されています。

造家から建築への呼び名の変化については、こちらにわかりやすく、テキスト化されていたので引用させていただきます。 
上記リンク先のプロフィール欄をよく見ると、1983年の建築知識に寄稿している山本正紀さんのwebだった。どうりで分かりやすく書かれているわけです。

上記のwebをみると、特に興味深いのは明治の初めに造家師と呼ばれていた当時においても、建築という言葉は存在しており、architectureの訳語として「造家」「建築」の両方があったことです。

この両方が訳として成立しながらも、先にも述べた工部大学校に創設されたのが造家学科であったことを考えると、「造家」という言葉が、いかに一般的に使用されていたかがわかります。

ではなぜ造家ではなく建築と呼ばれるようになったのでしょうか。

これは明治27年に伊東忠太が公表した論文「アーキテクチュールの本義を論じて、その訳字を選定し、わが「造家学会」の改名を望む」による主張が元となり、その三年後の明治30年に「建築学会」が誕生しています。

上記論文については、こちらに詳しく掲載されているので引用させていただきます。
また、私のように建築と造家の関係とその言語の変遷などについて記載されている文章がこちらとかこちらにありました。
双方ともに書かれているのは神谷武夫という建築家で神谷さんのプロフィールはこちらに記載されておりました。